2006年7月16日 (日)

『真っ暗な夜明け』 氷川透

かつてのバンド仲間との久々の再会、そして殺人。

推理小説家志望の氷川透は名探偵としての素質を開花させることとなるのか?

第15回メフィスト賞受賞作。

氷川透氏のデビュー作にして、否文庫化の絶版です。

どうしてこんなにおもしろいのに?

たまに「くどくどと、とにかくうざったらしい文章が気に入らない」というレビューを見かけますが、私は氷川透のわかりにくい冗談が結構好きです。如何せん、下ネタ多し?

氷川透氏の作品はすべて読んでおりますが、この『真っ暗な夜明け』と『最後から二番目の真実』が好きですね。初期作品はこれでもか!これでもか!という程、ロジック尽くし。氷川透氏(作者)自身が登場人物の氷川透に云わせた言葉(嗚呼、判り辛い!敬称の氏が付いている方が作者としての氷川透です)を引用すれば、「でもぼくは、あらゆる可能性を――完全にありえない可能性を除くすべての可能性を、パラノイアックに追求するから。しまいには、それが自己目的化してしまうこともなきにしもあらずだけど――」この台詞にすべてが凝縮されているといっても過言じゃない。

この台詞を文字通り受け取っても良し、婉曲させて「もう、どうしてこうくどくどくどくど!もっと簡潔に云えんのかい!」と憤っても良し。その憤りこそ、ロジックの本質。「こうでしょ?こうでしょ?ここはこうでしょ?じゃあ、こうするしかないね。んじゃ、君が犯人♪」のように、2時間ドラマのラストで断崖絶壁に犯人を追い詰めるように、逃げ道を塞いでゆくことこそロジックの本質。基本的に嫌みったらしい名探偵に似合います。

ここからネタバレします。ミステリでネタバレ書くの久しぶりだわ!

この『真っ暗な夜明け』では凶器として使われたブロンズ像の台座が、いつ犯人の手に渡ったか?を看破すれば、自然と犯人がわかるように描かれております。

ただ、氷川透が云ったように、あの日ふたつの殺意が同時に存在していた偶然については、素直に納得できないのだけれど。これが“どんなに有り得なさそうな結末でも、他のすべての可能性を削除したあとに残ったものは真実”ってやつですか?偶然がミステリに介入してくると、どうしても嫌悪的な反応が出てしまいますの。

でも、この『真っ暗な夜明け』がロジックを駆使した名作であるとの結論は変わりません。5月に発売予定だった氷川氏の新作は一体いつに延期になったのやら。頼みます、氷川氏!

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2006年5月20日 (土)

『各務原氏の逆説』 氷川透

各務原氏の逆説 Book 各務原氏の逆説

著者:氷川 透
販売元:徳間書店
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困ったときにぼくが頼るのは、各務原氏である。

各務原氏はぼくらの高校の用務員であり、カウンセラーでもある。

殺人事件が起こっても、困ったぼくが行くのは各務原氏のところなんだ。

氷川透氏の新刊『各務原氏の逆説3(仮)』がようやく発売の運びとなりましたので、シリーズ第1作目を再読してみることに致しました。

いやぁ、この「各務原氏シリーズ」はロジックが弱いね!私は「氷川透シリーズ」のこれでもかっ!と言わんばかりのくどいロジックが好きなので、ライトに書き下ろされた「各務原氏シリーズ」では満足ゆきません。

氷川透氏は『真っ暗な夜明け』第15回メフィスト賞を受賞しデビュー。論理・ロジックを駆使した若手本格ミステリ作家という位置付けなのですが…最近の作品にはデビュー当初のようなロジックが見られなくなっております。この「各務原氏シリーズ」も然り、『逆さに咲いた薔薇』然り、どうにも満足できない。ライトにしよう、ライトで行こうという策略が見え隠れ致します。どうかデビュー当時の作風に戻っていただきたい…という切なる願い。

この『各務原氏の逆説』の舞台は軽音楽部。氷川氏自らがジャズをやっていたということもあって、ジャズに対する熱い想いには深いものがあります。「氷川透シリーズ」の氷川透も同様。氷川氏の作品を読むときには、意図的にジャズをBGMにするようにしております。だって読んでいる最中に必ず聞きたくなるのだもの。私は楽器の演奏はからっきしできませんが、セッションって本当に気持ち良いんだろうなぁと、氷川氏の作品を読むと感じます。羨ましい。氷川氏のピアノを是非とも聴いてみたいと思います。

さて、ここから『各務原氏の逆説』のトリック(?)に触れます。ご注意ください。

えっと、キャラクタを誤認させることの意味がさっぱりわかりません!

最初と最後に登場する桑折亮くん。彼は=氷川透らしいのですが…だからどうした?新手のファンサービスでしょうか?登場人物表で(重要な人物が一人だけ抜けていますのでご注意ください)なんて注意書きがあって、抜けているのは物語の語り手である主人公なのですが、彼を意図的に桑折亮であると誤認させて何のメリットがあるのでしょうか?物語とは全く関係の無いところで叙述トリックをかましてどうするのでしょうか?斬新すぎて開いた口が塞がりません。深い意味があったとは思えない…。しかも『見えない人影-各務原氏の逆説』では桑折くんが常設キャラクタになってたりするし。

チェスタトンばりの逆説の紹介文を読むとなんだか涙が出てきます…。

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